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ある一族の序章 -第五話-

2019.08.26 09:45|俺屍

第五話 一途(1)





 いっと、と白い手が招く。
 いっと、と母の声が呼ぶ。
 何ですか、と答えて顔を見せれば、花が綻びるような笑みを浮かべて――。
 伸ばされた手を受け止めれば、甘えるように細い身体がしなだれかかる。
「…嫌な夢を見たよ」
「…どんなです?」
 目を伏せて不安げに言うその人の頭を撫でながら聞くも、答えの予測は付いていた。
 額を擦る仕草で顔を埋め、彼女は小さく続ける。
「……かか様が、鬼に喰われる夢」
 ――それが、ここ最近、彼女が繰り返し見ている夢だった。



 一途は生まれて数ヶ月間の記憶が曖昧だった。母共々に天界で過ごしたらしく、奇妙な姿形をした人々に囲まれていた……ような、断片的な場面を覚えている。そこはいつも暖かく、綺麗で、安らかな世界――そんな夢のような印象だけが残っていた。
 曖昧な幼少期の内、たった一つだけはっきりしている記憶があった。薄紫色の靄の中を、母に連れられて歩いた――そんな記憶。
 見上げた母はぼんやりした眼差しで遠くを見ていて、しかし、堅く結ばれた唇に意志の強さが感じられ、不均衡な美しさを醸し出していた。
 その頃のカナは髪を束ねておらず、質の細い新緑の長い毛が歩く度に揺れていた。
(母上、どこへ行くの?)
 息子が尋ねても母の答えは返らなかった。それどころか、彼女は彼に目もくれない。ただ真っ直ぐと前だけを見て、紫色の靄の中を歩いた。
 天界は美しいところだ、という印象があるのに、母と歩いたその道は暗く、不気味な印象しか一途の中にない。あそこもまた天界の一部だったのだろうか?
 彼の手を引く母の姿はまだ幼く、少女のような柔らかな輪郭を持っていた。透けるような白い肌に紅玉の眼が映える――その頃からカナは美しかったと一途は思う。その根幹にあるのが“儚さ”だということに、幼い彼にはまだ分からなかったが。
(母上、どこへ行くの?)
 返事の代わりにカナの足が止まった。一途の目の前にあったのは紺碧色の沼。透明度のない水は深く静かだった。
 一途が母の顔を見上げたのと、身体に衝撃を感じたのは同時だった。彼の目に写った母の表情は無に近かった。
 何かの感情を抱く前に冷たい水に投げ出されたと気付く。急のことで身体はすぐに反応しなかったのがかえって良かったのかも知れない。暴れなければ人の身体は水に浮くように出来ている。
「何をするのっ」
 若い――母とは違う、女の高い声と共に身体が宙に浮かび上がる。ゴホゴホと咳き込みながら、一途は自力で水を吐き出した。
「大丈夫!?」
 すぐに地面に降ろされ、細い指が彼の顔を撫でた。こくこく、と機械的に一途は頷く。
 沼から引き上げたのは母より幾分か年嵩の少女だった。背には淡い桃色の羽が生え、両腕は朱鷺色の羽毛で覆われている。薄い素材で出来た鶯谷色の衣は、濡れた一途を抱き上げたせいで湿っていた。
「カナ、あんたね……っ!」
 一途の無事を確認するや否や、少女は母を睨みつけた。彼を庇うように胸に抱いて続ける。
「実の子に何てこと…! それでも母親なの!?」
 少女の胸は顔の幼さのわりに豊かだった。その肉の柔らかさと甘い香りと――沼の生臭さに混乱して、一途は身動きが取れなかった。
「…母親?」
 ぼんやりした眼差しでカナは繰り返した。
「……誰が?」
 一途を抱き締める少女の腕に力が籠もった。その隙間から見た母の顔色は白く、視線は定まっていなかった。
 ――自分は恨まれている。
 その時、一途は初めてその確信を得た。



「――ナは、まだ不安定で……」
「だからって……ょうよ!」
 夢現に聞こえてきたのは落ち着いた雰囲気の男の声と、甲高い女の声だった。
「実の子を沼に突き落としたのよ!?」
「動揺していたんだ…。あの子は繊細だから」
「繊細…? だったら、何してもいいってわけ!?」
 障子の向こうから聞こえるのは男女の言い争う声。
 男が重い息を吐く。
「カナだって、まだ生まれて間もない子どもだ。ましてや、腹を痛めて産んだ子でもないのに…」
「その子ども相手にあんたはナニをしたのよ、か・し・ま・さ・ま!」
 沈黙は長かった。
 やがて、ゴメン、と女の声が小さく返る。
「…我々の希望は、もう彼女とその子どもたちだけだ」
 重い口調で男は言った。
 ――そこで、一途の記憶は終わっている。



「イツ花、見て頂戴!」
 下界に降りて三ヶ月目、黒曜斎様の元から第二子がやってきたのは初夏の頃だった。
「この子、私にそっくりなのよ!」
 二番目の子はカナとよく似た新緑の髪に白い肌をしていた。目の色だけ違ったが、この色は黒曜斎様譲りだねぇ、と子を抱く彼女は幸せそうだった。
 二ヶ月間の訓練を母が付きっきりで行うことになったため、一途は一人で討伐に出掛けた。彼はそれを寂しいとは思わなかった。かえって安心にすら感じていた―――母と二人で過ごした二ヶ月間。まるで異形のものを見るかのような彼女の視線は怖くて痛かった。
 二鷹と名付けられた次男は母の寵愛を一身に受け、次に生まれた三男の三牙はやはり母に似ず、その教育は長兄の一途とイツ花に任された。
「…角があるから、母上も俺が嫌いなのかなぁ」
「そんなことはないさ」
 近所の子らに追い掛け回され、傷付いた幼い弟の頬に薬を塗り込みながら、一途は苦笑してその頭を撫でた。
(少なくとも、そう…おまえは、)
 撫でながら、一途は思う。
(――恨まれてはいない)



 事件が起きたのは二鷹がちょうど六ヶ月、下界の子どもに換算すれば、十をいくつか過ぎた頃だった。それはある日の朝食時に起きた。
「なんで俺にばっか構うんだよっ!」
 立ち上がった勢いで卓は揺れ、一途の前にあった椀は倒れ、味噌汁が卓の上に零れた。「大変!」とイツ花がすぐに布巾を持って来て、一途の濡れた足を拭きに掛かる。
 カナは何も言わずに悲しげに目を伏せているだけだった。それが二鷹には、更に気に入らなかった。彼は勢い家を飛び出し、その後ろ姿に三牙が「兄ちゃん!」と声を掛け――躊躇うように母と長兄を見て、彼はすぐに次兄を追った。
 自分も追わなくては、と一途が顔を上げた時、背筋が凍り付く。母と目が合った――もう先程の悲しげな様子はない。下から睨めつけるような視線で一途を見ている。無言の内にその目は語る――おまえもか?と。
「一途様、お怪我は?」
「だ、大丈夫」
 イツ花に声を掛けられて、その視線からようやく離れた。時間にして一瞬に過ぎなかった……だろうに、背中には嫌な汗をかいている。無意識に喉を濡らすと思いの外、乾燥して痛かった。
「二鷹様、大丈夫かしら…」
 彼が出て行った方向を見て、イツ花は心配そうに呟いた。
 御馳走様、とカナは言って席を立つ。
 一途はそんな母を見送ることも、弟たちの後を追いかけることもできなかった。




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