FC2ブログ

ある一族の序章 -第六話-

2019.08.26 09:46|俺屍

第六話 一途(2)




 初代が病床に伏したのは末子の四季がやってきて二ヶ月もしない頃だった。最初のうちは娘に訓練を施していたが、日に日に横になっている時の方が長くなっていった。
 その月の討伐を弟たちに任せ、一途は四季の訓練に当たった。
 午後の課題が一通り終わり、片づけをしていた時だ。いっと、と奥の間から声がしたのは。
 気のせいだろうと即座に思った。母が、──カナが自分の名を呼ぶなんて。
 そう思って奥の間を見ていると、ひらり、と白い蝶が舞った。人の手だと気付くのにやや時間が掛かる。
 いっと、と今度はハッキリと耳に届いた。
「は、はい、ただいま──」
 参ります、と慌てて返事をし、部屋に上がる。薄暗い奥の間で、母の白い手がふらふらと空を舞っていた。
 母上、と呼ぼうとして一途の声は止まってしまった。そんなふうに彼女を呼んだ記憶はあまりに遠い。弟妹たちの前でその名を呼ぶ時はいつも「彼らの母」という意識があった。
 来て、というように白い手が揺れる。誘われるままに一途は横たわる母の傍に近付いた。
 ──その手は一途の胸倉を掴んで引き寄せた。見掛けの美しさからは想像できないほど、暴力的に。
「おまえは私に似てないね」
 息が掛かるほど近くで、彼女は囁く。
「おまえは、何?」
 動揺しながらも、一途は目を開いた。母の赤い瞳と視線が合う。
「……私の、何なの?」
 口調と、腕に込められた力の強さと――それに反して、彼女は苦しそうだった。病のためか呼吸は荒い。
「お、れは、」
 針で刺すような喉の痛みに堪えながら、言葉を続けようとするもうまく行かなかった。
 ──俺は、
 ──あなたの…、
 引き寄せたのはどちらからだったのか。
 言葉の代わりに唇が触れた。飲み込むような深い接吻に、どちらともなく目を閉じる。
 女の冷えた細い指がそっと頬に添えられ、一途は泣き出しそうになっている自分に気付いた。
(ずっと、この指に触れられたかった…)
(ずっと、この手が欲しかった……)
 ──幼い頃から、乞い願っていた。
「いっと、」
 唇が離れた、少しの間に母が名前を呼んだ。
「……好きよ」
 絞り出されたその言葉に応えるよう、一途はもう一度彼女の唇に口付けた──俺は、あなたの。
 カナの細い指が頭の後ろに回される。続けようとした言葉は意味を為さないまま、飲み込まれた。



 四季が実戦に出られるようになった頃、一途に交神の話が来た。
「どの御方がいい?」
と、神々の名と顔の絵が記された一覧を広げるカナの表情は無に近かった。
 どの…、と言われても、一途にはピンとは来ない。
「…どなたでも」
 そう答えることを予測していたのか、「…なら、」と続ける彼女の表情はやはり動かない。
「飛天ノ舞子様になさいな。いつぞや、沼で溺れたのを助けて頂いたでしょう?」
 ピク、と一途の手が震える。あの沼に、突き落としたのはあなたではないか──喉元まで出掛かった言葉は飲み込んでしまった。
「…何も知らない方より、気心が知れて好いだろうから」
 ぼんやりとした表情で彼女は告げる。
 はい、と一途は短く答えた。



 イツ花の案内で儀式の場に辿り着くと、飛天ノ舞子が頬を赤くさせて一途の元に降り立った。
「久しぶり! 元気だった?」
 一年以上経ってからの再会だったが、彼女の態度はそれを感じさせなかった。
「お久しぶりです」
「わぁ、こんなに大きくなっちゃって~。もうすっかり大人だぁ」
 嬉しそうに目を細め、彼女は一途の頬に触れる。それは人間のものではなく、鴇色の毛に覆われた翼の腕をしていた。
 舞子のうっとりとした潤んだ瞳に見つめられ、一途は内心狼狽えていた。──初めて出会った頃はまだ子どもだった。あの羽毛の腕に抱かれて空を舞ったのだ。身体が大きくなった今ではもう出来ないだろう。
「えっと…それじゃあ、どうする?」
 頬を赤らめさせ、舞子はもじもじしながら、こちらを見上げる。
「? 何が、」
「やぁだぁ、もう! 私から言わせるのぉ?」
と、舞子は一途の背を指の先でぐりぐりと押した。
「あ、の、ホントに……」
 分からないです、と一途は身を引きながら、続ける。
 え、と舞子は動きを止め、怪訝そうに一途を見やった。
「お母さまからは何も聞いていないの?」
「いえ、何も……」
 聞いては、──いない。
 が、しかし。
「え、えぇっとねぇ、」
 舞子は恥ずかしそうに視線を逸らしながら、続ける。
「交神の儀ってのは、つまり、その、子作りなわけでぇ、」
「あ、でも、ホントにまぐあう必要はないんだけど…」
「で、でも、気持ちが通じた方がよい子が生まれるって話もあってぇ」
「だ、だからぁ、そのぉ…」
 突然、舞子は一途に抱きついた。
 ふわりと甘い香りが鼻腔をつく。
「…とりあえず、試してみよっか?」
 誘うように、彼女の細い指が一途の頬を撫でた。
(…あ、)
 答える間もなく、唇が塞がれる。
 天女の身体は軽く、抱きしめてもまるで雲を掴んでいるような気がした。



「イツ花、」
「はい?」
 儀式が終わり、舞子が帰った後。
 場の片付けをする巫女服姿のイツ花に、一途は声を掛けた。振り返ったイツ花は目を見開いて驚いた。
「今後一切、交神の儀で一族の者を神々と接触させるな」
 そう告げる一途の目の色は暗い。
 いつか彼が落ちた、あの沼の色ように。
「……頼む、から」
 片手で目を覆って、一途はその場に泣き崩れた。
 返事をしないまま、イツ花は慌てて彼に駆け寄ると、その身体を労わるようにそっと抱き締めた。



「あなたの眼によく似た人に、教えられたの」
 最初に唇を交わした、あの日。
 最初に肌を交わした、あの時。
 事が終わって、彼女はそう言った。
 細く美しい指で、優しく頭を撫でながら。
 ──まるで、母親のように。


 息子として彼女を愛したかった。
 母として彼女に愛されたかった。
 …けど、そのどちらのやり方も、俺たちは教わらなかった。





スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
カレンダー

01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

カテゴリー

管理人

amano

Author:amano

リンク